nekuradj です。
今回はヒップホップの歴史の中で黎明期でありファンも多い時期
「オールドスクール」という時代についてザックリ説明します。
どれくらいの期間のことを指していて
どんな人たちが活躍していたのか。
などをご紹介していこうと思います。
オールドスクールの歴史
オールドスクールという時代は
年代でいうと、ヒップホップの黎明期のことで
1970年代後半~1980年代後半を指し
アメリカのニューヨーク北部に位置する
ブロンクス区(特にサウスブロンクス)が
発祥の地と言われております。
ブロンクスは当時、職を求めやってきた移民や
アフリカ系アメリカ人が多く住んでいた街で
生活が非常に貧しい人々が集っていた場所です。
そこで暮らす黒人たちが当時ディスコに行くお金もなく
身内で集って近所の公園などで行っていたのが
「ブロックパーティ」です。
そのブロックパーティから
クール・ハークやアフリカ・バンバータなど
ヒップホップを始めたと言われる人物たちが登場し
彼らによってヒップホップ文化が築きあげられたわけですが
そこからオールドスクールという時代は始まりました。
黎明期に最前線で活躍した三大偉人については以前記事にしておりますので
お時間あればこちらも合わせてご覧ください。
オールドスクールを代表するグループ
ヒップホップ黎明期はいろいろなDJやMCが
ブロンクスでは活躍しておりましたが、特に商業的にも
成功を納めているグループとその代表曲をいくつかご紹介します。
シュガーヒル・ギャング(The Sugarhill Gang)
シュガーヒル・ギャング(The Sugarhill Gang)
言わずと知れたHIPHOP音楽の音源化を
初めて成功させたグループです。
Rapper’s Delight(1979)
このグループの結成にはちょっと残念な話もあって。
(残念というのは語弊があるかもしれませんが…)
このシュガーヒル・ギャングが
音源化に初めて成功したグループではありますが
実はデビュー当時は、全くの無名グループでした。
それもそのはず、「コールドクラッシュブラザーズ」という
当時既に有名だったグループのマネージャーをしていた男
ビック・バンク・ハンク(本名:ヘンリージャクソン)
彼が自分と友達2人で勝手に結成したグループだったからです。笑
本来であればコールドクラッシュブラザーズや
既に名が売れているグループへ声を掛けるところを
悪く言うとビック・バンク・ハンクが集めた
寄せ集めのグループだったのです。
ただこの曲がきっかけで
当時一部の地域の黒人の娯楽だったヒップホップが
全米ポップチャートの36位という快挙を成し遂げ
アメリカ中にヒップホップを知れ渡らせた
大きな衝撃を与えることになります。
カーティス・ブロウ(Kurtis Blow)
カーティス・ブロウ(Kurtis Blow)
彼はニューヨークのクイーンズという街で
ラッセルシモンズという男がマネジメントするMC兼DJでした。
ラッセルシモンズは、デフジャムレコードという
アメリカではもちろん、日本の音楽関係者なら知らない人はいない
レコード会社の創始者であり、ビズネスマンとして知られています。
カーティスブロウは当時クイーンズのクラブで
よくパーティを主催し、若者から多くの人気を集めていました。
さらにビジネスマンであったラッセルの手により
1979年に「クリスマスラッピン」という曲でデビューを飾ります。
Christmas Rappin’(1979)
これがなんと全米ポップチャート30位まで上り詰め
ヒップホップアーティストとしては初となるメジャーレーベル
「マーキュリー・レコード」と契約を結ぶことになります。
アフリカ・バンバータ&ザ・ソウル・ソニック・フォース(Afrika Bambaataa & the Soul Sonic Force)
Afrika Bambaataa & the Soul Sonic Force
出典:songkick.com
ヒップホップの三大偉人の1人
アフリカバンバータが属するグループです。
Planet Rock(1982)
ヒップホップの偉人でありながらエレクトロファンクの先駆者的存在でもあり
この曲はヒップホップのみならずハウスやテクノといった音楽シーンにも
多大な影響を与えたと言われております。
この曲がリリースされたことで、別の音楽ジャンルからの支持や
イギリス、フランスからヒップホップの取材が殺到したとも言われており
この曲のリリースによりヒップホップの熱が世界中に飛び火したといっても
過言ではないでしょう。
グランドマスター・フラッシュ&ザ・フューリアス・ファイブ(Grandmaster Flash & The Furious Five)
Grandmaster Flash & The Furious Five
出典:discogs.com
こちらもヒップホップ三大偉人の1人
グランドマスター・フラッシュの属するグループです。
The massage(1982)
オールドスクールを代表するクラシック曲と言えるでしょう。
当時まだ少なかった政治的なメッセージをメインとし
貧困の街の状況や、緊張したゲットーの生活状況を
見事に凝縮したラップと言われております。
ラン・ディーエムシー(Run-D.M.C.)
Run-D.M.C.
出典:nts.live
ニューヨークのクイーンズ出身で
当時クイーンズで活躍中だったカーティス・ブロウに続き
登場したグループで、カーティスブロウに影響を受けたこともあり
カーティスブロウの息子的存在と言われておりました。
Run-D.M.C.もまたヒップホップシーンには多大な影響を及ぼしており
彼らの登場によりシーンは大きく変貌していくことになります。
Sucker MC’s(1984)
まず衝撃だったのが、彼らはこれまでのアーティストと違い
貧困の街出身ではなく、クイーンズの中流階級出身であるということ。
貧困の街から生まれた音楽シーンが中流階級まで届いた
HIPHOPシーンにおいて大きな変貌の1つと言えるでしょう。
かなりザックリではありますが、オールドスクールの歴史と
当時活躍していたアーティストについてご紹介させていただきました。
オールドスクールの時代は音楽以外にもファッションなども
現代に影響を与えている部分もありますのでそのあたりも
次回以降紹介できればと思います。
それでは今回はこの辺で。
最後までご覧いただきありがとうございました。