nekuradjです。
前回からやり始めた「個人的押さえるべきヒップホップ」シリーズですが、今回も超大物ラッパーをピックアップさせて頂きます。
前回の記事の引用ですが、普段ヒップホップの音楽をあまり聴くことがない人にヒップホップの音楽の面白さや文化の話をすると「じゃあ、誰がオススメなの?」的な質問がありますが、そんな方たちのために、自分の独断ではありますがこのアーティストはまず聴いておけば間違いないよ。っていう紹介をするのが「押さえるべきヒップホップ」シリーズです。
「間違いない」という言葉の自分なりの定義を話すと、ヒップホップの歴史上このグループ(や個人)
今回ご紹介するアーティスト(ラッパー)は「Nas(ナズ)」です。
言わずと知れた、ギャングスターラップからコンシャスラップまで幅広いメッセージ性とその文学性の高いリリックが評価されている天才的なリリシストラッパーです。
今回はNasがいかに素晴らしいラッパーか自分なりに噛み砕いてお伝えできればと思います。
Nasとは? 出身や幼少期の頃の話
Nas(ナズ)
本名:Nasir bin Olu Dara Jones
(ナーシアー・ビン・オル・ダラ・ジョーンズ)
出身:アメリカ合衆国ニューヨーク州ブロンクス区
生年月日:1973年9月14日生まれ
生まれはブルックリンと言われておりますが、実際に育ったのはクイーンズ区のロング・アイランド・シティという地区の低所得者用の公営団地クイーンズ・ブリッジ団地で育ちます。
このような低所得者向けの団地はゲットー出身のラッパーのリリックにはよく「Project(プロジェクト)」という名前で出てきます。
プロジェクトとは、先ほど言った低所得者向けの公営団地のことで、ニューヨークの街の映像なんかを見ていると、ときおり目にする茶色っぽい集合住宅などがそう呼ばれています。
プロジェクト(公営住宅)
出典:wikipedia
ちなみに、クイーンズのプロジェクトは「ハウジング・プロジェクト」と呼ばれアメリカで一番大きなプロジェクトだそうです。
日本語では「スラム地区」とも言われ、低所得者向けということで、昔からプロジェクトには薬物売買やギャング抗争などネガティヴなイメージがつきまとい、一般人はほとんど近づかない場所です。
そんなクイーンズ・ブリッジ・プロジェクトで育ったNasは学校を8年生で退学し、子供の頃からドラッグの売人となり、ストリートの道を歩み始めます。
同時期にヒップホップにも親しむようになり、9歳頃からラップもするようになったと言われております。
Nasのラップがレコード化するまで
Nasはプロジェクトの上の階に住んでいた兄貴分のill will(イル・ウィル)からラップのセンスを見出され、ill willのアドバイスを受けながらラップのスキルを日々磨いていきます。
そして1988年(15歳)頃に、同じクイーンズを拠点に活動していたラッパー兼プロデューサーのLarge Professor(ラージ・プロフェッサー)と出会いEric B & RakimやKool G Rapのレコーディングに空きが出来たタイミングでNasもスタジオに招き、デモテープを制作したりしていたそうです。
Large Professor
出典:npr
Nasの才能を見込んだLarge Professorは自身が結成したMain Souce(メイン・ソース)の最初で最後のアルバムとなった「Breaking Atoms」というアルバムの「Live At The Barbeque」という曲で当時同じく才能を見込まれたAkiynele(アキネリ)と共にフューチャーさせ、これがNasにとって初のレコード(音源)化された作品となりました。
1バース目でいきなりNasの勢いのあるラップがスピットされ当時16歳でありながら既に完成されたNas特有の枯れた趣のある声がシビれるくらいカッコいいです。
この音源のリリースにより、Nasの声が世間に広まりまったわけですが、これにいち早く食い付いたのが当時から有名だったMC Search(MCサーチ)というラッパーでした。
初のソロ音源と、コロンビア・レコードとの契約
Live At The Barbequeを聴いて感銘を受けたMC Searchは自身がプロデュースを担当した「Zeebrahead(ゼブラヘッド)」という映画のサントラにNasの「Halftime」をフューチャーさせます。
これがNasにとって、最初のソロ曲の音源化となります。
MC Search自身Nasはその頃まだアーティストとしての取引(ディール)が無いラッパーだったことに驚き、それはさすがに勿体無いから俺が紹介するよと言って、色々なレコードレーベルにNasをリクルートすることになります。
色々なレコード会社を回った結果「コロンビア・レコード」というレコードレーベルのA&Rとして勤めていたFaith Newman(フェイス・ニューマン)という女性に紹介したところ「私はこの人のことを1年半くらいずっと探してた」と逆に喜ばれ、その結果Nasはコロンビア・レコードと契約することになります。
Columbia Records
出典:discogs.com
Faith Newman
出典:sohh.com
デビューアルバム「illmatic」のリリース
コロンビア・レコードとの契約後、アルバム完成直前の94年にMichael JacksonのHuman Natureネタを使用した「IT AIN’T HARD TO TELL(イット・エイン・ハード・トゥ・テル)」が先行シングルとしてリリースされます。
アルバムリリース前から既に噂が広まり、プロデューサー陣もLarge Professorをはじめ、前回紹介した天才プロデューサーDJ PremiereやPete Rock、Q-Tipなど蒼々たる豪華メンツで構成されており、ヒップホップの業界全体がリリース前から間違いないアルバムだろうと、既にクラシック認定してしまうほどのお祭り騒ぎになっていたそうです。
日本を含め、世界中で高い前評判となりヒップホップリスナーのアルバムへの期待を煽っていくことになります。そして来たる1994年4月に満を辞してリリースされたアルバムが・・・
illmatic(イルマティック)
出典:discogs.com
最強のヒップホップクラシックアルバム「illmatic」です。
リスナーの期待した高いハードルを難なく飛び越え予想通りのクラシック・アルバムに認定されました。
※「クラシック」というのは何年経っても聴き続けられる名作という意味です。
illmaticの良さ
最強のクラシック・アルバムと言われるこのillmaticですが、では一体どういったところが素晴らしいのか。
それは、先述した豪華プロデューサー陣のセンスあるサンプリング技法もですが、その上に乗るNasの趣ある声質、そして決して誇張しないストリートを生きる過酷さや、そこから抜け出そうとするポジティブなメッセージを込めたリリシズムな歌詞がNasの大きな魅力となってます。
言い回しや言葉遊びが大変秀逸で詳しくは翻訳版なんかがネットには結構転がっているので、是非見ていただきたいですが、有名なところだけ紹介しておくと
アルバム2曲目の「N.Y. STATE OF MIND」 なんかでは
「I never sleep, cause sleep is the cousin death」
というリリック。
直訳すると「私は眠らない。眠りは “死のいとこ”である。」
要は、ボーッとしてるとヤラれちまう。って意味ですね。
眠りは死のいとこ。って普通に考えたら怖すぎるけどストリートの過酷さを、めちゃくちゃカッコよく表現してますよね。そんなプロジェクトの世界の過酷さが詰まった曲がこのN.Y. STATE OF MINDの特徴です。
アルバムをフルで聴いても40分もありませんので、わりとさらっと聴けてしまいます。
1988年から創刊されている当時のヒップホップ界隈に最も影響力のあった雑誌である「The Source(ソース)」は現在のミシュラン3つ星ようなマイク1〜5本でヒップホップアルバムをきびしい採点基準で辛口評価するというコーナーがあったのですが、このillmaticはしっかりマイク5本を獲得しております。
ちなみに、ソース誌でマイク5本を採れたのはヒップホップ黄金期と言われる90年代の10年間でわずか24枚(1年に2枚〜3枚)しかノミネートされてません。しかもその内18枚は元々4本から5本に訂正されたもので実質は6枚ほどしかちゃんとした5本マイクは採れていません。その中の1枚が「illmatic」なのです。
ラップの内容、トラックのセンス全てが高く評価されたクラシック・アルバム。
ぜひこれからヒップホップリスナーになるあなたへ。ここは必ず通るべきです。
ということで、個人的押さえておくべきヒップホップ第二弾でした。
ソース誌のマイク5本を採ったアルバムは全部オススメなので、次書くときもその辺を絡めて紹介できればと思います。
それでは今回はこの辺で。
最後までご覧いただきありがとうございました。