今回もDr. Dreの過去について振り返る回です。
N.W.A.の結成〜消滅、Death Rowの設立まではPart.1で紹介しておりますので良ければご覧ください。
Death Rowでの活動 〜 G Funk旋風
Deez Nuuuts / Dr. Dre ft. Snoop Doggy Dogg
Wit Dre Day / Dr. Dre
当時ヒップホップの本場ニューヨークのシーンからは「10年遅れをとっている」と言われいた西海岸でしたが、92年にDreの「The Chronic」のリリースにより、その10年を埋めるどころか、シーンの先頭にいきなり躍り出るような存在感を示し話題を呼び、これにより流れを大きく西海岸へ移したという功績があります。
ヒットの要因としては、Death Row時代の相棒、Snoop Doggy Doggの声やラップスタイルがこれまでのヒップホップの作品ではあまり居なかった「気だるそうなラップ」「特異なヴィジュアル」がキャラクターとして抜群の存在感を持っていたという点。そしてDreがプロデュースした自身の「The Chrinic」、93年リリースのSnoop Doggy Doggの「Doggy Style」など、Dreの作る音楽には当時のヒップホップシーンではまだ広まっていなかった「G Funk(Gファンク)」という新たなジャンルを取り入れたことが西海岸ヒップホップを象徴するものとなりました。そんなG Funkや西海岸のギャングスタラップを総称して「ウェッサイ(West Sideの略)」なんて呼ばれたりします。
Gin and Juice / Snoop Doggy Dogg
さらにDreには実弟Warren G(ウォーレン・G)という存在がいました。Warren Gもまたプロデュース業に長けており、Death Rowには所属していなかったものの、Dreの「The Chronic」を始めとするGファンクブームの火付け役として大きく貢献した人物として知られています。Warren GがDef Jamからリリースしたファーストアルバム「Regulate… G Funk Era」は当時、破産寸前とまで言われていたDef Jamの危機を救った救世主とも言われております。兄弟揃って凄い才能ですよね。
Warren G
出典:deezer.com
Regulate… G Funk Era
出典:discogs.com
Regulate ft. Nate Dogg / Warren G
G Funkというヒップホップジャンルについては、以前まとめた記事がありますので、もしご興味があれば以下のリンクからご覧ください。
2pacの加入 〜 東西抗争
西海岸のヒップホップがアメリカ全土へ浸透した頃、95年にDeath RowのボスSuge Knight(シュグ・ナイト)は同レーベルに新たな仲間を迎えようとしておりました。当時、強姦容疑で刑務所に入っていた2Pac(トゥパック)というラッパーです。
2pac
出典:moluv.jp
Suge Knightは2pacと刑務所内で面談し、Death Rowに必要なキャラクターだと判断し、保釈金を支払い、そのまま2pacをDeath Rowの新メンバーとして加入させます。こうしてDeath Rowは新たな象徴的ラッパー2pacと共に、新体制で動き始めます。
ここで手始めにSuge Knightは「大きな話題」を作ります。2pacの加入が決まった後すぐに行われたThe Source主催のヒップホップアワードの表彰式にてSuge Knightが言い放った「東海岸勢への痛烈なディス」です。これによりヒップホップ史に大きな傷跡を作ることになるあの「東西抗争」が幕を開けるのです。
The Source主催のヒップホップアワードでの
Suge Knightのスピーチ
これを聞いた東海岸勢はもちろん、Death Rowの一部メンバーも困惑したと言います。あの場でなぜそこまでいう必要があったのか…真相は謎のままですが、これにより東西のヒップホップシーンは真っ二つに別れ、それぞれがお互いの地域をディスする楽曲をリリースし始めます。
New York, New York / Tha Dogg Pound ft Snoop Dogg
95年にDeath Rowに所属するTha Dogg Pound(ザ・ドッグ・パウンド)がアルバム「Dogg Food」をリリース。アルバム収録曲である「New York New York」は東海岸勢へ宣戦布告したディス曲として有名です。ここから東西の対立が顕著になっていきます。
この頃からDreは自分の作る音楽がこうした暴力やディスり合いで話題性を作るビジネス目的の道具になっていることに非常に憤りを感じていたと言います。
「このまま東西抗争が悪化すれば必ず死者が出てしまう。」そう考えたDreは、95年に公開されたヒップホップのドキュメンタリー映画「The Show」の中で「これ(東西抗争)はエンターテイメントであって、現実の話ではない。」と訴えています。
しかし、この東西抗争はヒップホップをお金に変える上で非常に有効に働いてしまいます。新メンバーとして迎え入れられた2Pacは西海岸のカリスマとして持ち上げられ、東海岸のアーティスト達を次々と罵倒。2Pacのスタイルはまさに「Thug Life」と呼ばれ、アメリカの不良達に大きな影響を与えてしまいます。この頃のDeath Rowのイメージは、ほぼ「暴力団」と変わらないものになっていきます。
そんな中、96年にDreはそのイメージを払拭させるべく、2Pacとともにシングル「California Love」を発表。この曲はカリフォルニアへの愛を歌った「カリフォルニア賛歌」とも言える曲であり、これまでのGファンク系作品の集大成的な曲となって大きく注目されます。
California Love / 2pac ft. Dr. Dre
Death Rowの後退 〜 Aftermathの設立
California Loveをリリースした96年の9月、2pacは何者かに射殺されてしまいます。さらに翌年には東西抗争の対立側であった東海岸のBad Boy Records(バッド・ボーイ・レコード)の人気ラッパーThe Notorious B.I.G.(ザ・ノトーリアス・B.I.G.)までもが何者かに射殺され、この東西抗争は幕を閉じることになります。
The Notorious B.I.G.
Dreの予期していた通り、最悪の形で幕を閉じたこの東西抗争。DreはこれによりDeath Rowを脱退。Suge Knightとも決別します。
その後は新たに「Aftermath Entertainment(アフターマス・エンターテインメント)」という新レーベルを同年に立ち上げ、暴力的なイメージのあったギャングスタ作品からの脱却を試み、Dreは新境地へ歩みはじめるのです。
出典:outstyle.org
同年11月には、レーベル所属のアーティスト達と自分たちの名刺代わりとしたアルバム「Dr.Dre Presents The Aftermath」をリリース。
Dr.Dre Presents The Aftermath
出典:discogs.com
意外とDreのイメージってN.W.A.とDeath Rowのイメージが強い人が多いと思いますが、この辺りもDre節炸裂な時代で、筆者は個人的にこの時代のDreの作品は好きです。
「Dr.Dre Presents The Aftermath」に収録されている「East Coast, West Coast, Killas」なんかは、これまで対立していた東海岸勢のラッパー(KRS-One、Nas)らが参加しているのも、Dreの東西の分類に拘らない姿勢が出ている作品だなと、聴いていて結構グッときます。
East Coast, West Coast Killas / Group Therapy (B-Real, KRS-One, Nas & RBX)
さらに97年にAftermathとInterscope Records(インタースコープ・レコード)との共同制作によって完成された、Nas(ナズ)、AZ(エージー)、Foxy Brown(フォクシー・ブラウン)、Cormega(コーメガ)という豪華な顔ぶれが結集した「The Firm(ザ・ファーム)」の最初で最後となるスタジオアルバム「The Album」のプロデュースでも話題を呼んでおりました。
The Firm
出典:discogs.com
Firm Fiasco / The Firm
Part.3へ続く。