ヒップホップ好きであれば、知らぬ者は居ない(であろう)天才トッププロデューサーのDr. Dre(ドクター・ドレー)
ヒップホップにあまり関心の無い人へ向けてDr. Dreを簡単に言い表すとすれば「ヒップホップで億万長者になった天才プロデューサー」であるということ。そして今のヒップホップ界隈で流行っている様々なスタイルの根底にはかなりの確率でこのDr. Dreが関わっているということ。
N.W.A.メンバーとしての活動に始まり、Death Rowでの活躍、G Funkの火付け役、Eminemの発掘、Aftermathでの活動、Beats by Dreの成功など、数々の大仕事を成功させてきたDr. Dre。
ヒップホップを通して時代の流行りを常にネクストレベルに持っていく超天才な人物です。
そんなヒップホップ史に残るDr. Dreの過去や、ヒップホップに触れたことがある人なら必ずどこかで聴いたことがあるであろうクラシック作品などを簡単にいくつかの章に分けて紹介していきたと思います。
Dr. Dreとは?(〜N.W.A.の結成まで)
Dr. Dre
Dr. Dre(ドクター・ドレー)以下:Dre
本名:Andre Romel Young(アンドレ・ロメル・ヤング)
生誕:1965年2月18日
アメリカ合衆国、カリフォルニア州のコンプトン地区出身のヒップホッププロデューサー、ラッパー。
Dreは18歳の頃に、当時LAのヒップホップシーンで代表的存在だったヒップホップグループ「The World Class Wreckin’ Cru(ザ・ワールド・クラス・レッキン・クルー)」のメンバーとして、ラップ、プロデューサー活動をスタートさせますが、Dre自身留置所に何度も入っては、リーダーのLonzo Williams(ロンゾ・ウィリアムス)に保釈金を支払ってもらうことを繰り返し、金銭的なトラブルが多く、ある時再び留置所に入る際にLonzo Williamsに見放されてしまいます。
仕方なくDreは当時ドラッグディーラーの知人であるEazy-E(イージー・イー)と連絡を取り、彼の助けにより留置所を出ることが出来ます。その際、交換条件としてEazy-Eから提案されたのが、Eazy-Eが立ち上げる新レーベルへの協力、プロデュースの担当でした。当時The World Class Wreckin’ Cruでの活動路線や金払いに不満のあったDreはその条件を受け入れ、Eazy-Eと共に「RUTHLESS RECORDS(ルーズレス・レコード)」を立ち上げます。
出典:discogs.com
こうしてDreはEazy-Eと共にレーベルを立ち上げ、The World Class Wreckin’ Cruを当時メンバーであったDJ Yella(DJイェラ)と共に脱退。また、別なグループに所属していたIce Cube(アイス・キューブ)やArabian Prince(アラビアン・プリンス)を誘い、近所でオーディションをした際に才能を見込めたMC REN(MCレン)と共に、今では伝説的なヒップホップグループとなった「N.W.A.(エヌ・ダブリュー・エー)」を結成します。(N.W.A.に関する詳細記事は後日書きたいと思います。)
N.W.A.
このN.W.A.での活動がDreにとって大きな転機となったと言えます。コンプトンを中心に精力的な活動を続けたN.W.A.はやがてコンプトンを象徴するほどの大物ヒップホップグループに成長します。
N.W.A.の最大の特徴はコンプトンで生活するギャングなどをモチーフにした「過激過ぎる歌詞」です。内容は暴力的なものが多く、ラジオなどでは到底オンエア出来ず、ほぼプロモーション無しの状態で作品をリリースすることになります。しかし、これがコンプトンの不良たちを中心に話題を呼びバカ売れします。そして不良たちの悪行を更に刺激。コンプトンの犯罪率を引き上げたとも言われてます。その結果、FBIから目を付けられ過激な歌詞を歌わないようにと忠告を受けます。
そんなN.W.A.の代表的な作品(アルバム)と言えば、やはり「Straight Outta Compton(ストレイト・アウタ・コンプトン)」でしょう。2015年に公開された同名のN.W.A.の伝記映画「Straight Outta Compton」は公開後、全米興行収入3週連続No.1という驚異の売上を記録してます。さらにStraight Outta Comptonのアルバムはアメリカの「国家保存重要録音制度」に登録され、国家級の重要録音物としても話題となってます。
映画:Straight Outta Compton
アルバム:Straight Outta Compton
出典:discogs.com
イントロでDreが「You are now about to witness the strength of street knowledge(=強烈なストリートの知識を教えてやる)」というシャウトから始まります。ヒップホップを知っている人からすれば超有名なフレーズで、ど頭からいきなり痺れます。メンバーそれぞれ「Straight outta compton!!」と強い歌い出しで始まるのも、なんかカッコイイですよね。まさにハードコアラップの真骨頂と言えるかと。
Straight Outta Compton / N.W.A.
N.W.A.の消滅 〜 Death Lawでの活動
そんなコンプトンを中心に大ヒットしたN.W.A.でしたが、中心人物であったEazy-Eがグループのギャラをピンハネしていると疑惑が持たれ、メンバー同士の確執を徐々に生むことになっていきます。
それが原因かは定かではありませんが、88年にはArabian Princeがグループを脱退。続いて翌年にはIce Cubeも脱退。91年にはとうとうDreまでもが脱退してしまいます。95年には中心人物であったEazy-Eがエイズにより31歳という若さでこの世を去り、そのままN.W.A.は消滅することに…
そんな中、DreはN.W.A.の脱退時期に「ある人物」と連絡を取り合うようになります。その人物が「Marion Suge Knight(マリオン・シュグ・ナイト)」という人物。
Marion Suge Knight
彼はアメリカの実業家として有名であり、Dreの才能に目を付け「一緒にレーベルを立ち上げないか」とオファーをします。それに乗ったDreは、91年にSuge Knightと共に後にアメリカ西海岸を代表する超ビッグレーベル「Death Row Records(デス・ロウ・レコード)」を設立します。
Death Row Records
レーベル名がまさに物騒な雰囲気を醸している通りDeath Rowは過激な内容を含んだ「ギャングスタ系作品」を扱うレーベルとなります。
早速Dreは自身初となるソロアルバム「The Chronic」をDeath Rowからリリース。このアルバムがアメリカ西海岸のヒップホップを大いに盛り上げることになります。
The Chronic
出典:amazon.co.jp
このアルバムもN.W.A.の「Straight Outta Compton」同様に「国家保存重要録音制度」に登録されてます。過去にキング牧師のスピーチ音源も登録されてますが、国家級の重要録音物って考えると「Straight Outta Compton」もそうですが歌詞の内容はともかく、もの凄い影響を持ってるってことですよね。
Nuthin’ But A G Thang / Dr. Dre ft. Snoop Doggy Dogg
このThe Chronicのアルバムで西海岸のヒップホップはまさにDreの独壇場となります。当時Dreの相棒的存在であった「Snoop Doggy Dogg(スヌープ・ドギー・ドッグ)」もこのアルバムの参加をきっかけに頭角を表し始めます。
93年にはSnoop Doggy DoggがDreプロデュースの元、ファースト・アルバム「Doggy Style」をリリース。Dreの「The Chronic」と共に、この2枚のアルバムでアメリカ中にGファンクブームを巻き起こしたと言われてます。
この時代はヒップホップの本場であるニューヨークのヒップホップシーンを差し置き、ギャングスタラップは大ブレイクし、Death Rowの時代が完全に到来したと言える時代になりました。まさにDreの時代がやってきたのでした。
Part.2へ続く。