nekuradjです。
今回のテーマはヒップホップにおける「オールドスクール(ヒップホップ黎明期)」に関する記事を書いていこうと思います。以前も少しオールドスクールに関しては取り上げましたが、今回は音楽関係の話ではなくちょっと視点をズラしたトピックで紹介してみたいと思います。
ヒップホップの音楽は好きで、時代を遡って昔の曲を聴いたり、ジャンルも色々聴いてみたり、ファッションを調べてみたりと、一生懸命ヒップホップについて勉強している若者は多いのですが、特に「オールドスクール」にはなかなか手が伸びない・・・というパターンがけっこう多い気がします。曲もなんだか単調だし、ラップも大したこと言ってるわけじゃないし、あんまり聴く気が起きない。って話を実際によく耳にします。ヒップホップ好きの後輩からも相談を受けたことがあります。
筆者は今年30歳になるのですが、筆者自身も生まれる前の時代(30年以上前)のことですから、確かに最初は「なんだかとっつきにくいなー」という印象は最初はありましたけど、オールドスクールの時代に行われてきたことを色んな角度で見ていくと「やっぱりヒップホップって面白い」と徐々にオールドスクールの面白さや重要性みたいなものがなんとなく分かりました。
今回は筆者の考えるオールドスクールという時代を知る上で、勉強熱心な若者であればきっと「へぇ〜!」と言って頂けるとような豆知識や重要な事件など、知ると面白いヒップホップトピックを簡単にまとめましたのでご紹介していきたいと思います。
そもそも「オールドスクール」とは?
まず、オールドスクールに明るくない方たちに簡単に説明すると、オールドスクールとは、アメリカ(ニューヨークのブロンクスという地区)でヒップホップが誕生した1970年代〜80年代後半までの時代を指すヒップホップ用語です。
1990年代に入ると、サンプリング技術の向上や様々な地域で特徴あるヒップホップ音楽が流通し始めたことから、時代に一線を画す形で90年代以降を「ニュースクール」と呼ぶようになり、その対置した言葉としてヒップホップ黎明期の時代を「オールドスクール」と呼ぶようになったと言われております。
90年代以降のヒップホップは音楽が商業的に確立したものとなっており、それに対してオールドスクールの時代のヒップホップはどちらかといえば仲間内や地元のパーティなどで行われる(レコード化はしない)ものがほとんどでした。ラップの内容も90年代以降の曲に比べれば韻律や抑揚の点でもかなり素朴な音楽でした。
今は色々な音を組み込んだヒップホップが主流なので、おそらくそういった素朴である光景が若者に対してなんとなくとっつきにくい理由の1つになっているのではないかと筆者は考えます。今回は音楽としてというよりは、ヒップホップの「文化」としてオールドスクール(ヒップホップ)の成り立ちなど、別な角度で話を進めていこうと思います。
他のジャンルにはない「ヒップホップの誕生日」
オールドスクール(ヒップホップ黎明期)を話す上で、まず定番の話はコレでしょう。
皆さん、ヒップホップには誕生日があることはご存知でしょうか?ヒップホップには歴とした正式な誕生日があります。しかもその生まれた場所まで特定されていて、これは他の音楽ジャンルにはないヒップホップならではのトピックと言えるでしょう。
ヒップホップは1973年8月11日、アメリカのニューヨーク州にあるウェストブロンクス(サウスブロンクスじゃない!)にあるモーリスハイツ地区セジウィック通り1520番地にある公営住宅(ヒップホップの歌詞にもよく出てくる「プロジェクト」という低所得者用の公営住宅)の多目的スペースで行われた「DJ Kool Herc Back to school jam」というパーティの中でヒップホップが誕生したと言われております。
セジウィック通り1520番地にある公営住宅
出典:yoheifactory
元々このパーティはDJの「Kool Herc(クール・ハーク)」という人物が妹の学生服を買ってあげるために行ったパーティでありましたが、クール・ハークは「メリーゴーランド」という技法をここで披露し、このDJプレイが若者ダンサーたちに爆発的な人気を獲得し、コレが後に「ブレイク・ビーツ」と呼ばれる有名なDJプレイとなります。
ということで、DJのクール・ハークはこれによりヒップホップを最初にやった人物として知られる大物となり、ヒップホップ黎明期を語る上で絶対に欠かすことができない存在となりました。クール・ハークについては以前詳しく書いた記事がありますので、お時間ある方はこちらもご覧ください。
「ブレイクビーツ」に関する記事も以前書いておりますので、ご興味ある方はこちらもチェックお願いします。
ヒップホップの初のレコード化は寄せ集めグループだった
The Sugar Hill Gang(シュガーヒル・ギャング)
出典:pinterest
これもまた面白い話なんですが、ヒップホップが1973年に誕生してからはブロンクスの各地でヒップホップの要素を取り入れたパーティ(ブロック・パーティとも呼ばれます。)が広まって行くわけですが、そこに初めて商業的に目をつけたのがSylvia Robinson(シルヴィア・ロビンソン)という元ソウル・シンガーの方でした。
Sylvia Robinson(シルヴィア・ロビンソン)
出典:cinematoday
彼女は巷でラップが流行っていることに目をつけ「ラップをレコード化すれば儲かるんじゃない?」と当時としては安易な考えと言ったらあれですが、、、まあそんな感じで、ピザ屋で働いていた甥っ子に声をかけ「ラップできる子を紹介して?」と頼んだところ、本当なら既に有名だったラッパーへ声をかけて説得するところを、その甥っ子は自分を含め「俺ラップできるよ!」とテキトーに言ってる子たちを集めて「The Sugar Hill Gang」というラップ・グループを結成させ、シルヴィアが自身で立ち上げた「Sugar Hill Records」というレーベルから彼らをデビューさせます。
しかしそれがシルヴィアの思惑通りアメリカ中で爆発的なヒットとなり、ヒップホップの知名度をを一気に押し上げることになり、これにより周囲は「え?ラップって売れんの?!」と衝撃を受けながらも「ラップは金になるんだ」ということを知り、みんな次々にラップのレコードを出すようになります。
ニューヨーク大停電によるヒップホップの進化
これもまたヒップホップ黎明期における有名な話なんですが、73年にヒップホップが生まれた4年後の77年の夏にニューヨーク中が25時間以上にも及ぶ大停電を起こします。この停電によりニューヨーク中は略奪事件が頻発し合計で3000人以上が逮捕されその時の刑務所は超満員でパンパンだったとか、、、。
この大停電中に電気屋やクラブ会場には窃盗目的で人々が押し掛け、DJ機材が大量に盗まれる事件が発生します。ズバリ言いますが、この停電によって略奪した機材を使って有名になったDJは沢山いるはずです。笑
ただこういったある意味奇跡が起きなければ貧しい人々は機材なんて一部の人しか買えなかったわけで、おそらくクール・ハークなど地元で名を馳せていたDJ陣しか存在せず、この停電がなければ日本は愚かアメリカ全土へヒップホップを広めることは出来なかったかもしれません。皮肉にもこれによってヒップホップはさらにステップアップしていくことになるわけです。
この大停電後に略奪によってかはわかりませんが、グランドマスター・フラッシュ率いるFurious Five(フューリアス・ファイブ)や、The Treacherous Three(トレジャラス・スリー)、Cold Crush Brothers(コールドクラッシュ・ブラザーズ)などが新たにヒップホップのパーティを盛り上げるクルーが出現することになります。
アフリカ・バンバータという存在
Afrika Bambaataa(アフリカ・バンバータ)
出典:pinterest
先述したシュガーヒル・ギャングなど初期の頃のラップというのは、大概がバックにバンドがいたりして、その演奏と共にラップをするスタイルが定番でしたが、ここにまた別のスタイルを持ち込んで大いにヒップホップの底上げに貢献したのがAfrika Bambaataa(アフリカ・バンバータ)という人物です。
彼の音楽は先ほど言ったようなバンドの演奏ではなく、日本のローランド社が出した「TR-808」というリズムマシーンを使った電子楽器を取り入れた音楽でした。ヒップホップ界隈においてこのTR-808は「通称:やおや」としても有名ですよね。TR-808はオールドスクールの時代から活躍するいまだにヒップホップミュージックの大きな脊柱をなす名機として知られています。
アフリカ・バンバータ先述したクール・ハークのDJの影響を受け、ブレイクビーツのDJプレイも非常に得意とする人物でありました。他にも色々な面でヒップホップには貢献しており、枠にハマらない思想がヒップホップのレベルを大いに底上げし、この時代を引っ張っていった重要人物と言えるでしょう。アフリカ・バンバータもオールドスクール・ヒップホップを語る上では欠かせない存在です。
アフリカ・バンバータについても紹介している記事がありますので、お時間あればこちらもぜ是非チェックお願いします。
ということで、簡単ではありましたがオールドスクール(ヒップホップ黎明期)を音楽とはまた別な(文化を追うような)視点でご紹介させていただきました。
オールドスクールを単に音楽性だけで理解しようとせず、別な角度で見てみることで、ヒップホップの面白味が伝わればと思い今回記事にさせていただきました。こういった音楽とは少し視点を変えたトピックでヒップホップを紹介できる記事を今後も書いていければと思っております。
では今回はこのへんで。
最後までご覧いただきありがとうございました。