ヒップホップにおける「DJの誕生」について簡単にご紹介します。
「ヒップホップ」と聞くと大抵の方は音楽やダンスのジャンルを思い浮かべると思います。
以前、MCの誕生についての記事で触れましたが「ヒップホップ」とは黒人(アフリカ系アメリカ人)の娯楽から生まれた様々な文化を総称した呼び名であります。
今回はそんなヒップホップを最初に始めたと言われる重要人物クール・ハーク氏について、ヒップホップ初心者向けに簡単に紹介したいと思います。
「DJの父」とも呼ばれ、世界中のヒップホップファンの間で語り継がれる存在です。彼が居なければヒップホップはもしかしたら生まれていなかったかも?・・・そう思うとクール・ハークという人物の重要性は分かりますよね。
そこにはどんなきっかけがあったのでしょう。
クール・ハークとは?
クール・ハーク(Kool Herc)
誕生:1955年4月16日
出身:ジャマイカの首都 キングストン
1967年に移民として、家族とともにニューヨークのブロンクス区へ移り住みます。
筋肉ムキムキで強面だった彼は周囲から「ハーキュリー」というあだ名で呼ばれており、それが次第に呼び名が縮まり「ハーク」と呼ばれるようになったそうです。ハーキュリーとはギリシャ神話に出てくる伝説の英雄「ヘーラクレース」から派生したラテン語の「ヘルクレス」の英語読み。
「DJの父」と「ヒップホップ」の誕生
1973年の夏、クール・ハークは妹のシンディ・キャンベルから「夏休み明けから学校に着て行くための制服を買うお金が欲しい」と相談されます。2人が話し合った結果、自宅にあったサウンドシステム(移動式の音響設備)を地下室に運び、そこにお客さんを呼んでパーティをして資金調達をすることを考えます。
それが1973年8月11日に行われた「Back to School Jam」というパーティ。
この日がヒップホップの誕生日と言われ、DJの父クール・ハークが誕生したきっかけとなった超重要なパーティです。間違いなく教科書に載るレベル。テストにも確実に出ます。
クール・ハークと妹のシンディは早速手書きのチラシを作って、ブロンクス中の若者に配り歩きました。
Back to School Jamのチラシ
噂は思いのほか広まり、当日は大量の若者が集まりパーティは大成功するのです。
晴れて妹のシンディは学校の制服を買う事が出来たわけですが、2人は「これ盛り上がるしもっとやりたいね。」という事で、その後も月1回のペースで「Back to School Jam」は続いていくことになります。
ブレイクビーツの発見
地下室で行われたクール・ハーク主催のパーティは毎回多くの若者で賑わいを見せました。
そんな中、クール・ハークはある事に気が付くのでした。
俺は煙草を吸いながら曲が終わるのを待っていた。
すると皆が一定のパートを待っていることに気付いたんだ
引用:ジェフ・チャン(著) ヒップホップ・ジェネレーション より
みんながこの1曲を好きであることは間違い。けどこの曲はイントロしか盛り上がってない。こっちの曲はサビが終わって歌が始まるまでのドラムが強調されるパートで盛り上がっている。こっちの曲はどうやらアウトロでみんなが踊り出すな・・・。そんなことに注目し始めるのです。
つまりそれは「ブレイク」と呼ばれる “歌のない楽器の演奏だけが強調されるパート”で盛り上がるという現象でした。
今でいう曲の間奏部分がそれに当たるでしょう。クール・ハークはそれを「ゲットダウン」と呼んでいました。
それに気付いたクール・ハークは、早速2台あったターンテーブルを使って曲を頭からかけるのではなく、途中にあるブレイクの部分をかけて、ブレイクが終わるタイミングが来たらもう片方のターンテーブルで同じブレイク部分の頭をかけ直す。という手法で曲を繋いでいくことをやって見せました。
するとどうでしょう。ブレイク部分で最高潮に盛り上がるお客さんにとって、ピークタイムがずっと続くので、パーティは永遠に盛り上がり続けてしまったのです。
この技法が現代では「ブレイクビーツ」と呼ばれ、ただ曲を流して盛り上げる役割だったDJがミュージシャンへ進化したきっかけだったとも言われています。
ちなみに当時クール・ハークはこのブレイクビーツを「最高の場所が回り続ける」という意味で「メリーゴーランド」と呼んでいたそうです。
ブレイク・ボーイの誕生
こうして曲の盛り上がる部分だけをひたすらかけ続け、お客さんを熱狂させる技法を編み出したクール・ハークですが、そんな名物DJとなった彼の周りには、いつしか血の気盛んな若者たちが多く集まり、そこで名を馳せるために彼のパーティでは常にそんな若者たちがダンスバトルを繰り広げていたそうです。
そんな彼らをクール・ハークは「ブレイク・ボーイズ」呼び、パーティを盛り上げていたそうです。今でもヒップホップに熱狂する人やヒップホップ系のダンサーを「B BOY(ビー・ボーイ)」や「B GIRL(ビー・ガール)」と呼んだりしますが、この言葉はそこから来ています。
この重要な要素の発見がなければ、ヒップホップ文化の発展はなかったかもしれません。それ以降はクール・ハークという人物は「DJの父」として、ヒップホップの歴史上の最重要人物として語り継がれております。
元はと言えば、妹の相談がなければこの文化は生まれていなかった、、、?
そう考えると、面白くないですか?
もちろんヒップホップの文化を開花させた人物はクール・ハーク以外にもたくさんいますので、その後のヒップホップの発展などついては、今後別な記事で紹介していきたいと思います。
簡単ではありましたが、「DJの父」クール・ハークという人物の紹介でした。